香港STYLE Vol.67 日本のエレガンス (2019.04.13)

文化歴史香港スタイル

香港からこんにちは

日本の平成時代も、残すところあと2週間と少しになりましたね。 

新元号『令和』

なんて品のある、美しい響きと文字なのでしょう。

引用元は日本古来の万葉集だそうですね。 日本人を梅の花に例えて、

『人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育つように』

という意味が込められているそうですね。 このような素晴らしい文字を元号に使うという発想は、成熟した文化や精神性なしには出てこないものではないでしょうか。 

日本国内の一部には、元号は現代の国際社会では無意味だから要らない、とか、紛らわしいから西暦だけで充分、、、などと、元号の存在自体に異議を唱える、一見もっともらしい合理主義的な意見も聞かれるようですが、それはとても短絡的。

インターナショナルに通用していく価値観とは、そういうところではないと私は思っていますし、長年ヨーロッパとアジアの両方で生活してきた経験からも、それははっきり言えます。 

元号は、大切にしたい日本の美しさ、日本の知性と教養、そして日本のエレガンスだと私は思っています。 

、、、と、元号の話から『エレガンス』という言葉が出るとは、ちょっぴり意外だったかもしれませんね

『エレガンス』

これほど、時代に沿って受け止められ方が変化しつつも、普遍的な価値観があるでしょうか。

性別、年齢、職業、肩書き、国籍、人種など、カテゴライズされた枠を超えたところにある、それは人間性そのものであり、人としての品性だと、まだまだエレガンスには程遠く人生修行中の私などは思うのです。 

今日明日に作られるものでも、単にお金や時間をかけたからできるものでもない、エレガンス。

それは、その人が人生の時間を自分の足で歩いて、経験し、感じ取り、考えるからこそ出てくる内面の豊かさやあり方だと思っています。

媚びず奢らず、経験から出てくる言葉や振る舞いは本物で、そこに人間性が表れ、その人だけの雰囲気、つまりエレガンスになるのでしょう。

もうそうなると、知性と教養を合わせ持ち、数々の試練を克服し、年齢を積み重ねてきた年上のマダムやムッシュー達には、若い人達は、時間数からも経験値からも到底敵わないわけです。 「若さ=子供っぽさ=未熟=それはあらゆる面で不利」というはっきりした価値観、前提のあるヨーロッパ社会は、本当に成熟した大人の社会になります。 

そしてこのような知性教養のある大人中心の社会は、根本的な価値観が骨太であり、決して脆くないのです。

若いことや子供っぽさ、表面的な可愛さがもてはやされる幼稚で脆い子供社会と、大人ゆえの唯一無二の存在感やエレガンスが賞賛される、骨太で成熟な大人社会。 

あらゆる意味で方向性を失い、目標を失い、国際的に見ても瀬戸際の日本が、これからどちらの方向にシフトし社会を更新していくか、また、日本がグローバル社会で先進他国に対等な存在と認められるか否かは、少々大袈裟かもしれませんが、私は意外にも、一見 “国際社会には無意味“ に見える『元号』の存在がヒントになるのかもと思っています。

真のエレガンスの意味を個々が認識し、固有の美意識がブレないために。。。

真のエレガンスとは、知性、感性、教養、率直さ、多様性の容認、寛容さ、弱者への思いやり、論理的思考や主張構築の大切さなど、日本の社会が過不足なく全うし、そういった要素を口先だけでなく個々レベルで実践するようになって初めて、磨き上げていけるもののような気がします。

歴史だから、伝統だから、、といった視点とは違った次元で、元号は日本のエレガンスに繋がっているものではないでしょうか。 

将来、日本から元号制度が失くなるなどはあってほしくないですし、正直実用性はあまり無くとも、というか無いからこそ、目に見えない日本の美しさだと思っています

JUN

 

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