香港からこんにちは
今年の1月からスタートした香港STYLEですが、気がつけばおかげ様で今回が50回。 不思議な魅力を持つ香港という街を、現地生活者の目線で、とりとめもなく紹介して参りました。
思えば、日本人両親のもと、英国統治下真っ只中の香港で生まれ幼少期を過ごし、英国の香港統治が終了し中国に返還された年に、英国へ移住。 十数年の英国生活を経て、また再び香港に住むことになった時、私の中の「日本・香港・英国」をつなぐ目に見えない糸の存在を、感じずにはいられませんでした。
淺水灣 (Repulse Bay) にて。
「50回」 50回目の香港STYLE。
ハーフ・アニバーサリー的な小さな節目。 本当に取るに足らない、小さな小さな節目ですが、香港と関連付けた時、私の中で「50」という数字は、また別の大きな意味を持っていることに気がつきました。
「50年」 50年の不変。
自由放任資本主義で社会が成り立ってきた英国統治下の香港が、一党独裁社会主義の中国に引き渡されるという、宗主側としても例がない植民地支配終了の、建て前上は円満撤退。 しかし蓋を開ければ、あの英国が譲歩する形ともなった返還交渉に際して、当時の中国最高指導者・鄧小平が、不安がる香港民をなだめ、返還を平穏に移行させる便宜策として構想した、香港の「一国二制度」。
それが香港で維持されるはずの年数が「50年」なのです。
香港STYLE「50回」という、ミジンコより小さい私的な節目に、「50年」という、香港にとって壮大かつ重要な意味合いを持つ年月を重ね合わせるのは、単に数字が同じとはいえ、身の程知らずというか大袈裟であることは充分承知しています。
それでも、200年住んでも簡単に語れるほどヤワな街ではない「香港」を、英国と香港にどっぷり浸かりながら、失うことはなかった香港への敬愛の意を込めて、この機会に何回かに分けて、少しだけお話ししてみたいと思います
改めて、、、香港。
ほとんどの日本人にとって、現在の香港といえば「ショッピングとグルメ」、「気軽に行ける海外旅行先」といったイメージでしょうか。
ヨーロッパの高級ブランド品や宝飾品、高級時計、骨董品、裏路地に並ぶ屋台の日用雑貨、合法非合法の露天で売られる激安ITものや家電まで、あらゆる物があらゆる値段で揃う、買い物天国の街。
摩天楼やヨットハーバーを見渡す高級会員制クラブやホテルで楽しむ、静かなアフタヌーンティー。
かと思えば、ワイワイガチャガチャと食器の音を立てながら家族や友人と喋って食べて笑って、また食べて喋って笑う、そんな喧騒の飲茶。 そして相席はお決まりの大衆食堂、茶餐廳。
香港について、長いこと英国の植民地で、いつだったか中国に返還されたということは知ってるけれど、そんなことより、アワビやフカヒレなどの高級珍味、高級中国茶葉、美味しいチキンやダックの丸焼きが手に入る、そちらの方が面白い、グルメ天国の街。
そんな、何でもアリの混沌とした香港。 いつもエネルギッシュで、底抜けに明るくて温かくて華やか。
そんな香港を見るたびに、この街が辿ってきた稀有な運命に想いを馳せ、いつのまにかここに寄り添う自分に気がつくのです。
香港を表現するのに「歴史に翻弄されてきた街」という言い方をよく見かけます。
確かに史実の表面だけを見ると翻弄されているように見えるのかもしれませんが、私はこれには違和感があり、そうは思っていません。 この街は、そしてこの街に住む人たちは、何かに翻弄されるほどヤワではないと思うのです。
つまるところ香港は、香港人は「何が最も大切なことか、本能的に知っている」人達なのではないか。 そこに尽きるのではないか、と。
香港は、これといった産業を持たない小さな漁港が点在するに過ぎない、大小の島々からなる中国の一地方でした。
そんな香港の波乱の歴史は、アヘン戦争後の南京条約で香港島を英国に割譲されるところから始まりました。
英国が1842年に香港の植民地統治を開始してこの地にやって来たのは、アヘン貿易で富を築き、さらに東インド会社の利権を求める商人達。
このアヘン貿易商人達は、英国本国では上流階級やエリート層などではないものの、アヘン貿易によって築いた巨額の資本により、植民地政府である香港政庁との強固な関係を背景に、各種権益を独占するようにして香港経済を支配していきました。
そんな中、いち早く香港の独占的権益構築に乗り出していたのが、スコットランド出身のユダヤ人、ウィリアム・ジャーディンとジェームス・マセソン。
彼らは香港上海銀行 (HSBC) に特権を与えるなどしてHSBCを事実上の香港中央銀行にし、のちのジャーディン・マセソン・グループ傘下の最大手不動産管理会社ホンコン・ランドが、香港島中心部セントラルの物件を多数所有するように、英系資本による香港経済の権益独占は、長いこと続いていきました。
植民地経済とは、少々乱暴な言い方をすればすなわち、「支配層の居心地さえ良ければそれでよし」というもの。
ですが、英系資本が権益を独占し続ける中、その隙間にたくましく、したたかに入り込んで行ったのが、商売センスに長けた香港人による華人資本でした。
次回は、華人資本と彼らのエネルギーから見える香港に、スポットライトを当ててみたいと思います
JUN