春。 日本では卒業と入学の季節ですね
故郷を離れ、新しい土地で大学生活を始める方もいらっしゃるでしょう。 感謝と出発、新緑と桜、花粉とアレグラ。。。 大学生活が有意義なものになりますように。
香港の学校や大学は、欧米と同じ9月が新年度スタートですので3月はまだ学年の半ば。 ですがさてこちら、何でしょうか?
香港の最高学府、香港大學 (ホンコンタイホッ) の校章です。
The University of Hong Kong
1887年創立の香港で最古の大学で、通称 HKU。 世界大学ランキング The Times Higher Education で毎年アジア圏で首位をキープし、特に医学、理工学、法学分野は世界的に高い評価を得ています。
香港大學には現在、58ヶ国からの常勤教員と、106ヶ国あまりの学生が在籍し、大変国際色が豊か。
この世界大学ランキングですが、毎年発表されるもので「国際競争力ランキング」と置き換えてもいいかもしれません。
ランキングの重要な指標の中に「国際性」と「論文の引用」がありますが、アジア圏で他の大学がこれに苦戦する中、香港の大学はここでも評価が高く多くのポイントを稼ぎます。
学部の講義、セミナー、ワークショップ等は全て英語。 英語で会議をし、議論をし、論文を書き、そしてその論文はすぐにグローバルネットワークに乗る。 そして時間差なく世界中の専門機関の目に入る。
その数が多ければ多いほど、すなわち、分母が大きければ大きいほど国際競争力は強くなるわけですね。
また近年、中国大陸トップクラスの学生達が、かつて進学していた北京大学や欧米の大学を蹴って、香港大學を選んでいるのも興味深いところです。
香港大學は香港市民の税金によって運営されているため、中国大陸からの学生数は制限されています。 全10学部で合計300人ほどしか取らない中国大陸学生枠に、毎年20,000人を超える応募が来るそうです。
猛烈な競争を勝ち抜いて入って来る学生達の中には、中国共通大学入試で各省最高得点を修めた者に与えられる「狀元」(ジョンユン) のタイトルを持つ、秀才中の秀才達もいます
このような優秀な学生が集まることによって、結果として世界中から優秀な教員と学生を香港に惹きつけ、大学のアカデミックレベルがさらに上がり、ますます人材が集まり経済も発展する、という好循環を生み出しているのです。
英国統治下時代、イギリス植民地政府は香港の安定した社会を築く為に頭脳流出を防ぐことが不可欠とした政策を実施し、優秀な人材の確保に成功。 その結果、競争力の高いグローバル都市香港の地位が出来上がったと言っても過言ではないでしょう。
香港島中心部 Mid-Levels West と呼ばれる山の中腹、半山區 (ブンサンコュ) から 薄扶林 (ボッフーラム) にかけて、メインキャンパスを有する香港大學。
ヴィクトリア湾から西の海に向かって大きく開けた高台に位置し、そこから見るシティビューは壮観。 前に海、後ろに山という地形の変化にも富み、風水の視点からも香港大學は最高の立地と言われています。
またキャンパスは、これが香港市民の税金で運営されている公立の大学かと思うほど、立派な建物と近代的で多数の設備を有しています。 その多くが、香港の富豪や資産家らの寄付によって建てられたもの。
香港最大の企業グループ、長江實業集團の会長引退を先日発表したばかりの大富豪、李嘉誠 (Li Ka-Shing) は、香港大學の医学部「香港大學李嘉誠醫學院」や理学部に、自身や亡き夫人 莊月明 (Chong Yuet Ming) の名前を冠した建物などを多数寄付。
香港のメディア王、邵逸夫 (Run Run Shaw) は、文学部に数百もの研究室や講義室、自習室を有するRun Run Shawタワーを。
また、香港マカオの実業家、何鴻燊 (Stanley Ho) は、Stanley Hoスポーツスタジアムや屋内スポーツ施設、学生寮など、香港大學の多くの施設が資産家の寄贈によるもの。 キャンパス内はまさに、香港の名士録そのものなのです。
香港には「金は天下の周りもの」、そしてそれが自分に回ってきたら社会に返すという社会貢献の意識が、市民の中に脈々と受け継がれています。
このようなところにも、香港華人社会がなぜ発展し続けるのか、なぜ国際競争力、影響力が強いのかといった理由がうっすら見えてくるような気がします。
香港大學のキャンパスには、聡明で堅実で賢く、ひたむきに勉学へ打ち込み、真剣に将来をフォーカスする彼ら学生の本来あるべき姿があります。
これは香港大學の学生だけでなく、香港人の若者の多くに共通していると常々感じていることですが「国際人」になることに関しては筋金入りの彼らの鋭い視点と上昇思考、そしてこの街の「華やかでいて堅実」という大人社会のあり方は、これからも間違いなく香港を発展させ続けるでしょう。
そんなことを、キャンパスの中を歩きながらふと思ったりした3月の夕暮れでした
JUN